恨みが消えないと本人も苦しいでしょうが、問題はそれだけではありません。
恨みの念というものは、豊かさや幸せを拒絶します。
なので、恨みの保持者はいつまでたっても幸福になれないのです。
本日は、スピリチュアル的な視点から「恨みを手放さないと、豊かさは手に入らない」について解説します。
恨みから解放されるヒントについても触れていますので、ぜひ最後までご覧ください。
恨みは一つの「生命体」
社会に対する恨み、人類に対する恨み、個人に対する恨み…人によって様々なスケールの恨みがあります。
ですが、恨みが根深いものになると、それ自体が一つの「生命体」というようなものになります。
それは、怨念という意識体となって生き永らえようとするのです。
場合によっては、他人の怨念と合流し、パワーアップしてゆきます。
さらに、このようにして巨大化していった怨念が人類全体を操るようなこともありうるでしょう。
これが、この世界がいつまでたっても平和にならない真の原因なのかもしれません。
恨みは、その念の保持者が豊かになることを阻む
一方、人は豊かになったり、幸せになったりすると、恨みの念がだんだんと薄れてゆきます。
しかし、それは「恨み」という生命体にとっては困ることなのです。なぜなら、自分自身が消滅してしまうからです。
だから、恨みは、その念の保持者が豊かになることや幸せになることを阻むようになります。
「おまえは豊かになってはいけない、幸せになる資格はない。そんなことになってしまったらオレの存在理由がなくなってしまうではないか!」というわけです。
人を恨み、この世を呪いながら、豊かになることはできない
要は、恨みというものは、恨みの保持者を殺伐とした世界に閉じ込めようとするわけです。自分が存続するために…。
これが、人間が恨みを手放さないと幸せになれない、豊かさは手に入らない、その根底の理由です。
社会を恨み、人を恨み、この世を呪いながら、豊かになること、幸せになることは無理な話なのです。
恨みから解放されるヒント
では、恨みを心に抱えている人はどうすれば良いのでしょうか?
どうすれば、恨みを手放すことができるのでしょうか?
そのヒントは、溶かすことです。
水垢や水中の石灰分が、ネジ山にへばりついて固まってしまい、ニッチもサッチも動かなくなってしまうという現象です。
下手にネジを回すと、水道栓自体が壊れてしまいます。
これは、人が恨みに囚われて身動きができなくなることに似ています。
恨みから解放されるには、この固着状態を溶かすことが必要です。
こだわるのをやめること、自分の心を緩めること
「溶かす」と言うと、
- こだわるのをやめる
- 自分の心を緩める
- 火であぶる
- 酸をかける
- 水に流す
…などがイメージできますね。
まずは、こだわるのをやめ、自分の心を緩めてみましょう。
瞑想をしながら、恨みを溶かす
そして、自分の中に巣くっている恨みを「客観視」してみましょう。
それが、じわじわと熔けてゆくことをイメージしてみましょう。
瞑想をしながら、恨みと言う魔物がドロドロに溶けて、流れて、消えてゆくイメージをしてみましょう。
毎日、そのような瞑想をしてみるのです。
上記の曲「Davol / Paradox」を聴きながらやってみましょう。
Paradox(パラドックス)とは、色々な解釈がありますが、私は「平面的な考え方では答えを出すことが困難な問題」のことと捉えています。
恨みも同じです。相手と同じ平面上で考えていたら、いつまでたっても抜け出せません。
相手と自分の間で起こった間違いを、より広い視点で考えてみましょう。
そうすれば、恨みを溶かしやすくなるはずです。
まとめ

恨みを持っていては、豊かになれない。
なぜなら、豊かになると恨みは消えてしまうからだ。
恨みという一念、アイデンティティーが消えてしまう。
だから、恨みという潜在意識は豊かさを拒否する。
恨み(ハン)を維持するためには「豊かさ」があってはならないと潜在意識が拒んでいるのだ。
だから、社会を恨んだり、人間を恨んだりすることは、自分自身を豊かさから遠ざけることになる。
恨みとは、自分を決して幸せにしてくれない「怨霊」なのだ。
この社会で生きていると、色々なことがありますよね? やりたくないことをやらされ、おかしなことを押しつけられ、いじめられたりすることもあるでしょう。 しかし、この管理社会では、そんな不条理と戦うことはタブーとされています。 …