「相手を癒すこと」と「自分を癒すこと」は同じです。
あなたは、ボランティアなどした後に「気持ちが安らかになった経験」はありませんか?
もし、そう感じた事があるなら、それは
…です。
本日は、なぜ、自分を癒す方法が「相手を癒すこと」なのか?
そのスピリチュアル的理由について解説します。
自分と相手は「写し鏡」の関係
スピリチュアル関連では、よくこう言われますよね?
「自分と相手は同じ。ワンネスである。」・・・と。
とは言え、それを実感するのはムツカシイです。
この3次元世界では、どうしても自他の区別がありますから。
そこで、
・・・と考えてみる事をオススメします。
自分とは「相手を写す鏡」、相手とは「自分を写す鏡」
自分とは相手を写す鏡であり、相手(他者)とは自分を写す鏡です。
自分と相手は密接にシンクロしています。
ですので、
- 自分が傷つけば、相手も傷つく
- 相手が傷つけば、自分も傷つく
…ということになります。
自覚がなくとも、相手を傷つけた人は「自分自身」も傷ついている
「えっ?でも、他人を傷つけて喜んでる人もいますよね?」
…と疑問に思うかもしれません。
でも、ほんとうは、相手を傷つけて喜んでいる人は「自分自身を傷つけて」喜んでいるのです。
本人が無自覚なケースもあるでしょう。
ですが、やはり、他人を傷つけた人は、心の奥深くで「自分自身」も傷ついているのです。
人は「自分だけ幸せになる」ことが不可能な存在
「相手=鏡の中の自分」です。
なので、相手を傷つければ、本体である「自分自身」も傷つきます。
逆に、相手を癒やせば、本体である「自分自身」も癒やされます。
「相手=鏡の中の自分」が苦しんでいたら、自分の心は満たされない
そういう意味では「相手を苦しめて自分だけ幸せになる」ということはあり得ません。
たとえば、自分が出世してお金持ちになったとします。
でも、「相手=鏡の中のもう一人の自分」が苦しんでいたらどうでしょう?
それでは、本当の意味では、自分の心は満たされないのです。
「弱肉強食社会」では、心が病んでゆくばかり
振り返って、今の社会はどうでしょうか?
私たちが生きているこの社会は弱肉強食で成り立ってます。
- 受験
- 出世競争
- お金の奪い合い
…他者を押しのけ、蹴落として、自分が豊かになることを競い合う。
今の社会は、そういう暗黒システムになってます。
「他人を蹴落として、自分だけが幸せになる」という事はない!
しかし、先ほども申し上げた通り、
「他人を蹴落として、自分だけが幸せになる」ということはありません。
いくら、地位やお金を手にいれても、心の中はどんどん空虚になってゆくばかりです。
なので、現代社会では心の病が多くなってゆきます。
他者を癒すことで、自分の心も安らかになる
一方、ボランティアなどで、他者を
- 助けたり
- 癒したり
- 励ましたり
…そんな活動をする人も増えています。
だから、ボランティアに関わる人は元気な人が多いのです。
相手にやさしくすることは、自分自身をいたわること
「相手を癒すこと」と「自分を癒すこと」は同じです。
相手にやさしくすることは、自分自身をいたわることなのです。
私たちの宇宙は、このようにできているのです。
まとめ
本日は、なぜ、自分を癒す方法は「相手を癒すこと」なのか?
そのスピリチュアル的理由について解説しました。
- 自分と相手は「写し鏡」
- だから、相手が苦しんでいたら、自分の心は満たされない
- 人はそもそも「自分だけ幸せになる」ことができない
- 誰かにやさしくすることは、自分自身をいたわることに繋がる
…このような理由から、自分を癒す方法は「相手を癒すこと」になるのです。
このように考えると、人間関係もスムーズになるのではないでしょうか?
ただし、自分が癒されたいというエゴで、他人に優しくするのはダメですよ。
あくまで「自分と相手は写し鏡である」という深い理解とともに、心の奥から自然と優しさが出てこなくてはなりません。
また、理屈ではなく「他人の痛みを自分の痛み」として感じられるような柔らかな共感性を育むことも大切です。
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