秋田県「東湖八坂神社」からの続きです。
私たちは、2018年8月19日に東湖八坂神社にお参りしました。
その後、道の駅「おおがた」に行くことにしました。
ところが、その途中、まるで導かれるように「八龍神社」「大潟神社」を参拝することになりました。
八郎潟周辺
八郎潟周辺を、車で走ります。
見渡す限り、田んぼが広がる
八郎潟の周辺には、見渡す限り「田んぼ」が広がっています。
八郎潟は、かつて、琵琶湖の次に広かった
八郎潟はとても広い湖です。
かつては琵琶湖の次に広かったようですが、干拓によって狭められてしまったようです。
秋田県「八龍神社」
「八龍神社」です。
何となく行き着いてしまいました…。
「八龍神社」とは?
八郎潟の漁業者からの信仰があつい神社。
伝説の八郎太郎を「八龍権現」として祀ったらしいです。
八龍神に豊漁を感謝し、魚の霊を鎮めるための石碑があり、有形民族文化財に指定されています。
住所は、秋田県男鹿市船越です。
狛犬
こちらは、狛犬君です。
…なんか、カワイイです。
「八郎太郎」の伝説
この地域には「八郎太郎」の伝説があります。
諸説あるようですが、簡単にまとめると、以下のようになります。
- 昔、十和田湖に八郎太郎という龍神が住んでいた。
- しかし、南祖坊(なんそのぼう)という修行僧が現れ、八郎太郎は戦いに敗れた。
- 八郎太郎は十和田湖を追い払われてしまった。
- そこで、八郎太郎は川を堰き止め、八郎潟という大きな湖を作り、そこで暮らすようになった。
- 一方、田沢湖には、辰子姫という女龍がいた。
- 2人は恋仲になり、毎年冬は田沢湖で一緒に暮すようになった。
- そのため、冬になっても田沢湖は凍らないが、八郎潟は凍ってしまうと言う。
八郎太郎=ヤマタノオロチ?
重要なのは「八の数字を持った龍が退治され、追い払われてしまう」と言うストーリーです。
これが、青森、秋田、岩手の3県にまたがる伝説として残されていると言う事です。
江戸後期の紀行家である菅江真澄は、200年前に男鹿を旅しました。
菅江真澄は「八郎太郎=ヤマタノオロチ」ではないか?と書いているようです。
私もそんな感じがします。
もしそうであれば、なぜか、ヤマタノオロチ退治の神話が東北にも存在することになります。
この地では、ヤマタノオロチ退治の祭りもある
船越水道を挟んだ「東湖八坂神社」では、スサノオのヤマタノオロチ退治の神話を再現した祭りがあります。
それは千年も続けられています。
このことからも「八郎太郎=ヤマタノオロチ」ではないかと、私は感じています。
とは言え、この祭りは、ヤマタノオロチを成敗しているようには思えませんが…。
八郎太郎についての「疑問点」
八郎太郎についての「疑問点」を挙げておきます。
八郎太郎=ヤマタノオロチか?
八郎太郎伝説の中では、八郎太郎は「8つの頭を持つ龍」になったと書かれています。
八郎太郎とはヤマタノオロチの原型だったのでしょうか?
あるいは「ヤマタノオロチ伝説」が、東北にまで伝わってきたのでしょうか?
ヤマタノオロチは、本当に悪神だったのか?
八郎太郎は、地元の人にとても慕われている龍神のようです。
とすると、ヤマタノオロチは、本当に記紀に書かれているような悪神だったのでしょうか?
剣の奉納
「八龍神社」に剣を奉納します。
剣のエネルギーを奉納する。
大きな龍のモチーフが見える。
それが、大漁舟にドンと乗っていた。
勢いがあって、めでたい波動。
この龍は「地域の漁の安全」や「大漁」をもたらす、まさに守護神のように思えた。
その後「大潟神社」に続きます。
私たちは、秋田県の「八龍神社」を参拝した後、昼ごはんを食べようとさまよっていました。 ・・・すると、偶然「大潟神社」に行き着きました。 秋田県「大潟神社」 大潟神社は、八郎潟の農業従事者の支えとなるべく、1978年に建立 …
八郎太郎が宿を借りると繁盛し断ると潰れた民話が有ります。
これ祇園さんの「蘇民将来」に似てます、祇園さんこと牛頭天王は須佐之男と習合してます。
三湖物語も敗北、放浪、ヒロインとの出会い、仇敵との再戦(ここだけ少し違ってよりドラマチック)、勝利と構成が似てます。
牛(馬)、龍蛇、太陽と金星の物語の系譜だとここらへん配役はちょくちょく入れ替わります。
コメントありがとうございます。
三湖物語も、スサノオの逸話と似てるんですね。
「秋田物部文書」によると、鳥海山にニギハヤヒが降臨したとか…
記紀では大和方面が主役になってますが、やはり、東北には何か重大な真実が隠されていそうだなぁ~と感じます。